18世紀初頭、フランスからロシア帝国に宮廷バレエが伝わったことに起源を持つ、格調高きバレエ団。1850年代にはフランスから招聘された振付師プティパの活躍により、チャイコフスキーの3大バレエ(「眠れる森の美女」、「くるみ割り人形」、「白鳥の湖」)をはじめ多くのクラシック・バレエの演目がマリインスキー劇場バレエ団から誕生しました。ただ、国内情勢の変遷に翻弄された時代もあり、1917年のロシア革命を機に多くのバレエダンサーが国外に逃亡しました。さらにソビエト連邦時代は、国策として宮廷起源であるマリインスキー劇場ではなく、新しい首都モスクワにあるボリショイ・バレエ団の隆盛に力を入れました。言論統制があったので、マリインスキーと名乗るこことを許されず、ソビエト・バレエ、後にキーロフ・バレエ団と表記されていました。日本では「キーロフ・バレエ」という名前に馴染みのある人も多いと思います。1992年にロシア連邦として、現在の「マリインスキー・バレエ」となりました。